蓮實重彦インタビュー──リアルタイム批評のすすめvol.1

インタビュー

 デジタルメディアの台頭とともに「あらゆる映画が見られる」ようになったといわれる今日、映画批評はどう変わったのか。その本道はどこに求められるべきか。蓮實重彦氏に聞く。

(インタビュー/構成:三浦哲哉)

目次

1.データベース化の幻想
2.反復する顔、しない顔
3.70年代の映画批評
4.リアルタイム批評のすすめ──マイケル・マンか、ガス・ヴァン・サントか



1.データベース化の幻想

──1994年に『シネティック』の関口良一さんがなされたインタビューの中で、蓮實先生は、あらゆるものが見られる状況になったことで、映画を巡る言説は多様化するのではなく、かえって単調なものになっている、と述べておられます[1]。それから約10年が過ぎましたが、大状況としてはこの発言を追認せざるをえないかと思います。今回のインタビューでは、まず先生が述べられたこの見解を念頭に置きつつ、映画批評における歴史性について、メディア環境の変容という観点からお話を伺いたいと思います。
 先生が映画批評の執筆に本格的に取り組まれるようになったのは70年代のことですが、いうまでもなく当時、ビデオは一般に普及しておりません。映画について書かれたテキストはすべてフィルムのみを対象としていたわけです。フィルムのみを対象として書かれた映画の言説と、それ以後の状況で書かれた言説になにか質的な違いがあるとすれば、それはいかなるものであるとお考えですか。

蓮實:そのことにお答えするまえに、十数年前のインタビューでいったことにいくらかの修正を加えておきます。たしかに「なんでも見られる状況になった」といっていますが、その言葉は明らかに正確さを欠いています。ごく単純に、映画史的には「なんにも見られない状況」がなおも続いているからです。ジョン・フォードの作品だって、見られないもののほうが遙かに多い。プリントがなくなっていればDVDにしようもないし、プリントが存在していてもDVDが出ていないものだって少なくない。溝口健二だって、1920年代に撮られた作品はほとんど見られません。小津もプリントが残っていない作品が十数本もあります。『狂恋の女師匠』(1926)も知らずに溝口を語り、『美人哀愁』(1931)も見ぬまま小津を語らねばならないという悲惨な現実に、ひとびとはあまりにも楽天的すぎると思います。プリントがないんだから仕方がないなどと諦めないで、ないなら探さねばならない。実際、モスクワやパリには、小津や溝口の日本に残されていたプリントより充実したヴァージョンが残っていたのです。しかし、DVDによって「なんでも見られる」ようになったという錯覚は、失われたと思われているプリントを探すという実践的な作業を意気阻喪させかねません。現状はまさに悲観的なのですから、電子的にデータベース化が可能であるという幻想は捨てなきゃいけない。アメリカの有線チャンネルでたまたま流れたものを録画したひとが、世界的な地下流通網をつくりあげていて、そのようなところからたぐりよせると、見られなかったはずのものが見られるということは確かにありますが、映画史を構成する70パーセントの作品は普通には見られないものだと思ったほうがいい。特に1930年代以前のアメリカ映画や日本映画の大半はないと考えねばなりません。そのうえでDVDを素材としてどのように使うか、ということをあまり楽天的にならずに考えること、それが大前提です。
 そこで先程の質問に戻ります。DVDやビデオが存在する以前に、映画を見ることでわれわれのなにが鍛えられたかというと、動体視力です。流れ星のように、一瞬、画面に生起した運動をどこまで見ることができるか。大きなスクリーンに上映された場合はますますそうですが、映画のひとつの画面にこめられた一瞬ごとの情報量はめちゃくちゃに多い。その中である種の中心化がなされていて、映画作家も構図のうえで、あるいは照明の具合によって、さらには被写体との距離によって、「ここを見ろ」という一点を示しているし、確かにそうしたところは見なきゃいけない。しかし、あくまで文化的な制度にすぎないこの中心化にさからい、周縁に追いやられているものだって、われわれの瞳には見えてしまう。ときには、映画作家がまったく意図していないものが、われわれの感性を揺るがすことだってある。ゴダール的にいうなら、映画は「1秒間に24の死」からなっていますが、その「24の死」にどこまで立ち会いうるかという動体視力の問題として、1960年代まで映画はあったわけです。
 1960年までというのは、ビデオのような反復装置が出現する前にはという意味で、シネマテークや映画祭の特集で例外的にめずらしい作品が上映されるときなど、二度と見られないという思いで画面に集中したものです。画面をことごとく覚えてしまえるほどの集中力が動体視力を鍛えてくれたので、ごく普通の映画を見る場合にもそれが発揮されていたように思います。映画を見ることは、本質的に1回限りの体験だとごく自然に思われていたので、画面を一瞬でも見のがすことの恐怖感のようなものがたえずありました。私の『監督 小津安二郎』は、ことによると、世界的にいって、ビデオやDVDをまったく使わずに書かれた最後の書物かもしれません。
 映画の批評など書く以前の私は、この一瞬を見逃さずにいた、あるいはその一瞬を見てしまったという恐怖に耐えたひとだけが映画批評に進めるものだと思っていました。当時の映画批評家たちが、果たして全員そのようにして映画批評に進んだのかどうかは判断できませんが、すくなくとも、意図的に中心化されてはいないものを画面に見てしまったことの衝撃を、信頼のおける人たちと、国籍や世代を超えて、競い合うように確かめあっていたという事実はあります。幸い、私のまわりにはそのようなひとがフランスにもいたし、イタリアにもいたし、スペインにもいたし、日本にも何人かいた。その後、アメリカにもオーストラリアにもいたことを発見したのですが、彼らと話したり、彼らの書いたものを読めば、あの映画のあの瞬間を確実に見ていることがわかるし、また、別の評論を読めば、それを見ていないひとが大半だということも確認できます。そのような相互確認が映画批評の原点といえるかどうかはともかく、相互確認しあえない人の書いた映画批評はつまらない、刺激に欠けるということだけは確かでした。しかし、現実には、動体視力がないひとも涼しい顔で映画批評を書いていたんです。国際的にも、むしろ、そのような人が大勢をしめていたのであり、彼らも、実際に画面を見ておらず、ただ物語を語ったり、人物関係や、時代背景などを語ったりすることはできたのです。

──当時であれば、作品外の社会的状況のほうに重点が置かれたりもしたわけですね。当時のインタビュー記事や対談記事などを読み返すと、蓮實先生や山田宏一さん、あるいはフランソワ・トリュフォーのものがそうですけれど、「あれを見たか」、「わたしも見た」、という具合に、ある種の確認の場になっているわけです。70年代のインタビュー記事はそういう意味で、それ自体、刺激的な批評の実践になっていたのだと思います。

蓮實:たぶんこれは幻想なのですが、ショットを頭から言葉で再現できないと、見たことにはならないと思っていました。それが幻想でしかないというのは、ショットを全部記憶しているつもりの映画でも、それを見直すとそこには決まって覚えていないショットがあるからなのですが、そういう気持ちのない人が書いた映画批評はとにかく面白くないという事実は、世界的にあったわけです。私が惹かれた批評家たちは、かならずショットを見落とさずにいる。それは、必ずしもショット分析があるかないかではありません。こんな言葉が書けるひとなら、あのショットを見のがしているはずがないと思える批評家が、間違いなく存在していたのです。一番付き合いの長いフランスのジャン・ドゥーシェなどは明らかにそうした批評家です。奇妙なことに、そうしたひとびとは、あまりノートをとりません。私も作品を見たあとでノートはとりませんが、動体視力がとらえた画面の運動は、それを言葉にしたとたんに記憶から遠ざかってしまうからです。
 そんな状況が60年代から70年代まで続き、80年代になってから少しずつビデオが出て、DVD が出てくる。それ以前の合衆国の大学では、16ミリのプリントをビデオのように使って画面の情報を読み込んでおり、デヴィッド・ボールドウェルの『小津安二郎 映画の詩学』などは、明らかに16ミリのプリントを素材として分析されたものですが、それ以前に、スクリーンで初めて小津を見たときの動体視力の震えのようなものがその書物にはかろうじて感じられます。映画で動体視力が養われたのは、原則として、映画は一瞬も映像を止められないということがあったからですが、DVDは簡単に止められる。ビデオももちろん止められるわけです。ビデオで画面を止めてその情報を詳細に辿りながら書かれた本は、読んでいて分かりますね。動体視力のないひとは、画面を離れて、歴史的事実を論じたり、社会的な問題を探ったり、伝記的な事実を確かめたりする。ときには、あえて動体視力を自粛して、そうした方面で自分を試してみることも絶対に必要です。動体視力を自粛して書かれた本は、たとえば、上島春彦さんの『レッドパージ・ハリウッド』のように、あえて自粛したことが言葉を鍛えてくれています。それに対して、単なる資料のアレンジでしかない映画論は、映画や映画作家を対象にしていても、映画研究でも映画批評でもなく、文学的な色調の濃い文献研究の一領域じゃないかという気がしている。そのようにして書かれたもので、面白いものがあるかというと、非常に少ない。

──表面上は、先生が再三に渡って説いてこられた「細部への密着」を忠実に実践しているかのように見える場合でも、実は質的にまったく違うものになっていることもあるわけですね。

蓮實:たとえば加藤幹郎さんの『「ブレードランナー」論序説』、あれは一瞬の流れ星に向けての動体視力が問題になる書物ではなく、必要なら、あえて画面を止めてでも、画面にこめられた情報をくまなく自分のものにするという前提で書かれている。彼は、もちろんこの作品を初めて見たとき、そんな見方をしたのではなかったでしょうが、今ならDVDでこれだけの情報を全部見られるはずなのに粗雑な議論が多すぎるということで、あえて改めて見直すことであの本は書かれています。あれはごく数少ない、そういった見方の実践であるように思われます。「わたしは映画を見たというけれど、そのあと画面を止めて見ればまだこれだけのことがいえるはずなのに、多くの人がそれもしないでいい加減なことをいってる」っていうね。問題があるとすれば、画面に対する接し方がややもすれば正義感として意識されているかのような感じがあるところだと思いますが、あれはDVDの時代の映画批評を有意義に実践した貴重なものだと思っています。それに比肩するものは世界にあまりない。

──フィルムという媒体に関していうと、かつて、映画を見るということは必然的に映画館で上映されることを意味していたわけで、となると、いまだ見られない映画をそれでも見るためには、組織的な運動が必要だったのだと思います。映画を見る環境自体を多かれ少なかれ変えなければ見たい映画も見られない。ところが今は、そのうち衛星放送でかかればいいや、というのではありませんが、見たい映画を見る権利を行使するために自ら動こうというふうにはかえってなり難いのではないかと思います。見られないことの不幸が意識しづらくなっている。

蓮實:結局、現在は、自分がまだ何を知らないかということを知らないまま生きてしまうことが可能な時代なのだと思う。昔からそうだったのかもしれませんが、これはゴダールの『映画史』(1988-98)の主題でもあります。実際、われわれはまだあの映画のあの場面も知らないという自覚があって、初めて映画に近づいていけるわけです。自分より上の世代の連中はみんながみんな『サンライズ』(1927)、『サンライズ』といっているけれども、自分はまだ見ていない。その欠如の自覚が、ムルナウのみならず、他のさまざまな映画を見るきっかけともなったわけです。仮に私の書いたものがある程度は機能したとするなら、ただ闇雲にホークス、ホークス、といったり書いたりしていたときに、「まだ見ていない」という自覚を持ってくれたひとが、ある時期までは確実にいてくれたからです。誰も小津など見ないし、むしろ小津を軽蔑することが世界観の表明のように思われており、実際に彼の作品があまり見られなかった時期に、ことあるごとに小津、小津といっていたことにも、そうした効果があったんじゃないかと思う。実際、「自分はホークスを知らない」とあるとき思い立った人がホークスを見ることができれば、それはすごく刺激的な体験だと思う。自分の無知に対する無知は、いってしまうと意識されざる楽天性でしかないと思いますが、いまは、自分が知らないことへの自覚を欠いた楽天性が、世界的に瀰漫しているんじゃないかと思う。

──また、あらゆる作品がデータベース化されてしまうというような錯覚があるから、なんとなく誰もが安心してしまえるということがあるわけですね。

蓮實:東京ではあらゆる映画が見られるし、スクリーンでも見られる。DVDもアメリカから取り寄せて友だちと貸し借りすれば、かなり見られるということになっていますけれども、それが自分の無知に対する楽天的な無知をさらに強固なものにしてしまわないことを祈るばかりです。



2.反復する顔、しない顔

──流れ星という言葉が出ていますが、先生が主に70年代に発表された文章を集めた『映画の神話学』のひとつの章は「映画、この不在なるものの輝き」と題されておりまして、つまり、過ぎ去るもの、見たそばから次々に消えてしまうものですね、こうしたイメージへの感受性が濃厚に脈打っていたと思うのです。

蓮實:さっきもいったように、映画が「毎秒24倍化された死」であるということ、つまり、見るはしから消えてしまうものだと自覚したうえで、その瞬時性にどうすがりつくかということですけれど、面白いことに、映画が好きだといいながら、出てくる人物の顔すら識別できないひとがけっこういる。たとえば、侯孝賢の『悲情城市』(1989)を見て、人物関係がわかりにくいというひとがいます。あれは何の役だったっけって聞かれて不意に驚くということがありますが、侯孝賢の場合は、顔を見ていれば、間違いっこない。勿論、そのように演出されている場合とそうでない場合があるわけです。よく挙げる例ですけれど、スピルバーグの『プライベート・ライアン』(1998)の墓地に出てくる顔は、みんな忘れちゃっていい顔でしょう。どれひとつとして、その顔を憶えていなければその後のフィルムの流れにすがりつけないという記号ではなく、どれも忘れてしまっていい。これはスピルバーグに対してどうしても最後まで残ってしまう私の疑問なんです。つまり、シナリオ通りにその画面を撮ったけれども、あそこに出ているひとで憶えなければならない顔がまったくない。だから、あの場面はほとんど見る必要がなく、劇的状況を理解すればそれでよい。しかし、そうした場面を演出することに、むなしさはないだろうかという疑念が最後までまといついて離れません。
 イーストウッドでいえば、『マディソン郡の橋』(1995)の子供たち、親たちにこういうことがあったんだというんで子供たちが集まるじゃないですか。あそこの子供たちの顔もまったく憶える必要のない顔ばかりです。物語の上で状況を納得すれば、画面をあえて見るには及ばない。どうしてそういうことをするのか、と不思議でなりません。いわゆる「古典的ハリウッド映画」には、そのような瞬間はまず存在しようがない。画面にある顔があり、それがそのときは誰だか認識できなくても、あとで必ずその意味と役割とが再発見できるという説話論的な有効性があらゆる顔を支配していました。ところが、そのようなことが起きない顔というのが、最近よく登場しています。これはみなさんがたの考えも聞きたいと思うんですが、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)が私はどうしてもダメなのです。最初に出てくる黒人のボクサーの顔が、あとから家に訪ねてきてネクタイまでしめており、「オレはあんたのジムを離れるよ」ってことまでいうにもかかわらず、どうでもいい顔のように見えてしょうがない(笑)。題材の上で重要なカトリックの神父の顔にしても、またあの教会の装置にしても、衣装にしても、覚えておく必要はまったくないと、見ているときからわかってしまう。

──あの役者はたしかにそうですね。

蓮實:同じイーストウッドでも、あれだけたくさんの登場人物が出ている『許されざる者』(1992)にはそれがない。モーガン・フリーマンの奥さんの顔さえ、有意の顔なんです。だからみんな記憶している。二度、時間的なずれをもって活用されることによって新たな意味が生まれることのない、いわばその瞬間に消費してしまっていい顔というのが、ときおり、クリント・イーストウッドにさえあるということは、私にとってショックです。あれほど古典的な映画をよく見ているはずのイーストウッドが、ごく普通にそれをやっちゃうのはなぜか。つまりその場で消費してしまってよく、しかもそのときの納得が非常に知的な納得で、「ああ、これは彼らの子供たちなんだ」と思えばいいというのが『マディソン郡の橋』でした。『プライベート・ライアン』では、「ああ、こうして合衆国から訪ねてきて、フランスの墓地の前に立っているひとの何十年か前の話なんだ」と納得すれば、あの墓地の光景は、説話論的な持続にほとんど介入してこない。
 古典的な映画作家が何をやったかというと、あるひとつの顔のショットが次のショットでは年寄りになっていたり、その逆というケースを、不自然でもいいからメーキャップで見せちゃう。たとえば『哀愁』(1940)では、何かを回想している初老の男が橋の上にいると、その同じ顔が次第に若々しくなって、昔の話になる。回想形式の典型的な場面です。そのバカバカしさを映画はどれくらい人に強制しうるかというと、たぶんもう強制しえないとみんなが思っているようです、イーストウッドも、スピルバーグも。ですから全然違う役者を持ってくる。たしかにそのほうが本当らしいのかもしれないけれど、「この場面は頭で理解すればよい」、ということになって、視力が問われなくなってしまう。これは最近映画を見ていてよくいらだつことで、とくに『ミリオンダラー・ベイビー』にそれが多かったな、という気がする。

──深いレベルでイメージ体験の質が変容してきているということですね。

蓮實:どうも、そう思わざるをえない。これは私だけの苛立ちなのかも知れません。つまり、かつてはそのようなことはなく、この場面はのちに視覚的に活用されたはずで、それが古典的なハリウッド映画の説話論的な有効性であると思い込んでしまっているから、これは有効でないと判断する。あるいは見終わった後で、あれは何だったんだ、と思ってしまうんです。ただ、イーストウッドの場合、『父親たちの星条旗』(2006)は、有名な役者はひとりとして出ておらず、その場では識別しがたい顔が何人も登場して、初めは戸惑いすら覚えるのですが、やがて、その匿名の顔が、匿名性のまま有意の記号に変質してくる。これは、凄いことだと思いました。



3.70年代の映画批評

──『シネマ69』あたりから蓮實先生や、山田宏一さん、山根貞男さんらが仕事を始められたわけですけれども、こうして70年代からまさに「一瞬の流れ星」を問題にしてキャリアを重ねてこられた世代の優位というものがあると思うのですが。

蓮實:それを優位というのか不幸というのかはわかりませんが、70年代、というより60年代の終わりから70年代にかけてのことについていうと、誰もが見ているのに、なぜ見たことを認識しないのだろうか、という問いがつねにありました。誰でも加藤泰は見たはずです。ところが、加藤泰はごく一部のひとを除けばまったく論じていなかった。あたかも誰も見ていなかったかのように、消費されていたわけです。ところが、消費され難いなにかが加藤泰の画面にあるじゃないですか、というわけです。そのように山根貞男さんがいっても、誰も聞く耳を持たない時代だったんです。鈴木清順についてもまったく同様です。一部の好事家はいたにせよ、鈴木清順なんて映画作家だとは思われていなかった。黒澤明について語ったひとが、鈴木清順についてはまったく語らない。誰もが見たはずなのに、あたかも見なかったかのように事態が推移している。深作欣二しかり、工藤栄一しかり、鈴木則文しかり、中島貞夫しかり、「見てみると面白いのに、面白くないんですか」ということをわれわれはいい続けたわけです。東映だけの問題ではありません。大映の田中徳三や三隅研次についても同じことがいえました。
 これは先ほどの話とは逆の現象で、誰もが見ていたはずなのに、見たことを誰も十分記憶していないし、画面を見たことから受けた感動を言葉にしていません。それへの苛立ちがわれわれの世代の映画批評家たちに共有されていました。それが40年後に悪いシネフィルを作っちゃったのかなあという気もしますが(笑)、ただ、たとえば鈴木則文を見ると、これはまずいぞと思うでしょ。こんな作品が現在の日本に存在していいのだろうか、やばいんじゃないかと、それをなんとかして言葉にしておかねばという気持から、われわれがいろんなこといっちゃったわけです。消費されているはずのものが、消費とは違う力学をわれわれに波及させていたということですかね。もちろん映画は消費されるんですけれども、でもある種の作品は、こういうものが今の日本にあるとまずいぞ、という脅えに似た気持ちに引きずりこむので、私はつい言葉につまって「鈴木則文は美しい」などと大袈裟にいってしまったのです。

──鈴木則文なら則文を取り上げるにせよ、画面に映った細部に即して言説を紡ぐというフレーム自体がそれ以前はなかったと思うんです。それを作られたのが蓮實先生の世代の優位であると思うし、また、先行する世代との断絶がそこにあったと思うのです。

蓮實:うん、ただ見ましょうよってだけの話で、ごく当たり前の話でしかないんだけれども、そうすると、あいつは目立つために変なのをほめてるとかいわれたもんです。ところが奇妙なことに、あの当時われわれがほめたものは、鈴木清順にしたって、加藤泰にしたって、そのあと全部、世界的に認められている。鈴木則文の場合は、35年後に、ついにフランスで特集上映っていうことになるのです。35年後ですよ。

──パリのエトランジェ映画祭での特集上映ですね。この企画には先生も関わられたんですか。

蓮實:いや、全然関わっていません。鈴木則文という変なやつがいる、ということを発見したのがフランスにいてくれたようです。

──『トラック野郎』シリーズなどについては、若い世代からもすごく人気がありますが、ただそれは、語弊があるかもしれませんが、タランティーノ流というか、キッチュとして消費していこうという、また別の流れでもあると思うんです。たとえば僕の友人で、第何作のどのカットで菅原文太の腹巻きがどうというようなことを延々と語ってくれるのがいるんですが、一方でそうしたフェティッシュ化の方向もありますね。

蓮實:そうでしょうね。映画批評家とそうでないひとの違いは何かというと、そうでないひとたちはそういうことばっかり憶えていて、クイズでもやったら彼らのほうが絶対に強い。フランスにもどこにでもいますよ、あの場面で誰がどうしたっていうのを全部憶えているひとたちが。でも、彼らはその存在を映画に快く保護されているいわば好事家ですね。骨董品のあそこが欠けているのがいいというのとほとんど同じことです。でも、骨董品ではなくてそれは茶碗なんだから、それで茶を飲めば美味いじゃないかというふうにはなかなかいかない。つまり、好事家には映画を存在させようという意志が皆無です。映画の存在は、彼らにとって自明のことなのです。批評家たちは、何歳になっても映画はそのつど驚きの対象であり、決して自明の事態ではありません。

──フィルム・スタディーズの領域でも似たようなことがいえるのではないでしょうか。重箱の隅からなにから、満遍なくあらゆるものを見たとはいうけれども、ただ映画の現在とは決定的に切り離されてしまっている場合が多いと思います。

蓮實:フィルム・スタディーズにはふたつあるような気がする。アメリカのフィルム・スタディーズは、研究者たちがお互いに評価されればそれでいい。それが社会に踏み出して映画を擁護しようなどと金輪際考えていないひとたちが書いている。

──引用された回数や、図書館に購入されることにこだわるようなレベルに留まってということですね。

蓮實:幸いそういうものだけではないから、優れたひとたちは生き残っているわけですけれども、社会に対する刺激というものをあらかじめ自粛してしまったひとが書いたものは、映画を絶対に変えない。好事家たちと同じように、映画は自明の事態であり、その自明性に保護されているから、現在の映画も変えないし、彼らが語っている過去の映画を変化させようという意志もない。世の中はある程度豊かなんだから、そういう人間たちを飼っておくことは一種の文化だと思います。けれども、それがひとを映画へと向かわせないということは確かだと思う。

──フィルム・スタディーズというのではありませんが、過去との対峙のしかたとして、わたしたちにとってなによりまず刺激的だと思われたのは、先生が1985年に創刊された『季刊リュミエール』創刊号で提示された「73年の世代」というパースペクティヴです。特にアメリカ映画のことですが、過ぎ去った過去が現在に不断に回帰してくるというヴィジョンのことですね。ここで問題になっていたのは、もちろんダニエル・シュミットやヴィム・ヴェンダースといった作家たちですけれども、同時に、蓮實先生たちもまた「73年の世代」に所属する批評家だったと思うんです。1985年に雑誌の創刊とともに打ち出され、そして現実に日本の映画批評をある種方向づけたこのパースペクティヴについて、現在から振り返ったときにどう思われますか。

蓮實:「73年の世代」は、ヌーヴェルヴァーグが世界的にどう咀嚼されたかという視点でもあります。「73年の世代」にはあえてフランス人は入れませんでしたが、この年の周辺で世界的に何人も面白いひとたちが出てきたということは確かです。吉田喜重や大島渚のように、それ以前から撮っていたひとたちも、この時期に世界的な認知を受ける。普通、それは「ポスト・ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれてしまう。ただ、私からすれば、それは「ポスト・ヌーヴェルヴァーグ」というのとはあきらかに違ったものがあり、それは何かというと、ヌーヴェルヴァーグは本質的には映画批評家たちの運動だったのです。ところが「73年の世代」は、批評を書くひともいたし、批評的な視点は強いかもしれませんが、本質的には、批評活動の延長ではなく、いわば裸で映画にとりくんだひとびとであり、それがヌーヴェルヴァーグとは違った迫力を持っていたと思う。その迫力はどういうものかというと、ヌーヴェルヴァーグのひとたちには、批評家特有のある種の自制心があった。つまり批評家だったから、自分たちはここをあえてこういうふうにやってみせるという意識は強いけれど、ゴダールでさえある種の自制心をもっており、そのことで彼らは映画の内部に位置を見つけたのです。彼らの多くが長生きしているのは、そのことと無縁でありません。「73年の世代」は、その点、もっと無意識で無防備だった。ヌーヴェルヴァーグは、既存の映画をこわしはしたが、なお、映画の中にとどまりえたのですが、「73年の世代」は、ファスビンダーのように、映画を撮るたびにじかに社会との葛藤を演じなければならない。これは疲れることです。ヴィクトル・エリセがなかなか映画を撮る機会にめぐまれないのも、彼がいまだ制度としての映画の中に位置を見いだしてはおらず、そのつど社会との葛藤を演じなければならないからです。ベルトルッチもまた、作品ごとに撮ることの戦略と向かいあわねばならなかった。

──歴史的な引用とはまた違った過去との付き合いかたがあったのですね。

蓮實:ええ。ゴダール的な意味で映画史をもう一度読み直そうなんて考えるのではなく、ただ自分が好きだからというかたちで、孤独に、野蛮にやっていたわけです。これが「73年の世代」の特徴です。
 批評家として山田宏一さんや私がやっていたことは、それとはちょっと違う。さっきもいったように、われわれには、自分たちはまだ映画史を充分には知らないという強い欠落感があった。だから山田宏一さんと「リュミエール・シネマテーク」[2]をやったとき、こんなものも見られるのだという嬉しさがまず先にあり、あれでルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』(1942)が日本で公開されるようになったからほんとにやって良かったと思いますが、あの作品をもう一度見たいっていう意識ですか、ついに日本でも見られるのだという興奮でみんなを巻き込んじゃいましょう。誰が見たって面白いんだから、というね。そういうことをわれわれが73年から10年かけてやって、やっと『季刊リュミエール』ができたわけです。「ほんとに面白いもの見せちゃいますよ。いいですか、みなさん覚悟はおありですか」ってね(笑)。そこへといたる10年間は、ゴダールも新作を撮らないし、フォードは死んでいるし、ホークスもウォルシュも引退していたし、ときには不毛なかんじもしました。ホークス、ホークスといっていればいいものじゃない、フォード、フォードというくり返しで済むわけでもなかろうに、と何度も思いました。私にとって救いだったのは、その時期に、ドン・シーゲルやロバート・アルドリッチ、リチャード・フライシャーといったハリウッドの監督たちの作品が毎年見られたことであり、そうした中から、イーストウッドが監督し始めたことです。



4.リアルタイム批評のすすめ──マイケル・マンか、ガス・ヴァン・サントか

蓮實:そこで、最初の質問に戻るのですが、DVDでなんでも見られるという状況がもたらしがちな欠陥は、ある種の歴史意識の低化というか、いま起こりつつあることへの視点が希薄になることです。たとえばの話ですけれど、「ガス・ヴァン・サントとマイケル・マンと、どっちがいいのか」という問いを立てたとします。両方いいといったんじゃ批評にならないし、無理に選択することの批評性というものがあるのです。ガス・ヴァン・サントだってかなりいい線をいっていると思っていますが、私のどこかに疑問が残っている。というのは、彼は映画作家というより、フィルムによる芸術家を目指しているんじゃないかという気がしているからです。それに対してマイケル・マンは、TVの『マイアミ・バイス』シリーズ(1984-89)のプロデューサーで、その『マイアミ・バイス』(2006)を21世紀に平気な顔して撮ってしまうんですから、そこにはいかがわしさがついてまわる。しかし、映画の正統性という点からすると、マイケル・マンを選ばざるをえない。確かに、『コラテラル』(2004)のほうが『マイアミ・バイス』より良かったと思いますが、このひとはやはり──すごいというのとは違うんですね、彼は。でも私は、マイケル・マンのほうがガス・ヴァン・サントより貴重な映画作家だといいきってしまうことが、いま映画批評家に求められているような気がしています。ガス・ヴァン・サントは、個々の作品を誉めたりけなしたりすればよい。しかし、マイケル・マンの場合は、それを論じることがある種の映画の擁護につながるのです。だから、マイケル・マンを選択すると断言することが刺激になって、その作品の評価を超えて、映画についていろいろ考えさせることができるのです。ガス・ヴァン・サントとマイケル・マンと、選ぶとしたら、あなたはどちらを選びますか。その理由はなんですか。それを突きつけることが、現代の映画を見ていることだと思う。くだらない設問といえばくだらない設問かもしれませんし、マイケル・マンの名前もガス・ヴァン・サントの名前もほかの名前に置き換えられるのですが、でも今一番欠けているのはその種の問いだと思う。ガス・ヴァン・サントは一部のヨーロッパの批評家たちによって虚名になりつつあるという気がしています。ただ、そのことで彼を否定しようという気はまったくなく、次回作を見たいとさえ思っていますが、50年代から60年代にかけての『カイエ・デュ・シネマ』の精神は、ガス・ヴァン・サントとマイケル・マンのどちらか一方を選べ、ってことだと私は理解してる。ところが今の『カイエ』はあまりその種の問いをつきつけなくなっているから、ことによると私がそのカイエ的な精神の最後の後継者なのかなとも思っています。今年になってふたりの新作を両方みて、そこをはっきりさせるジャーナリズムが存在しないといけないんじゃないかと思いました。

──現在の『カイエ』は、抽象的なレベルで、グローバリズムに対して多様性を擁護すると謳ってはいますが、たしかにそうした批評家による体を張った選択の身振りはあまりないのかもしれませんね。

蓮實:ないですねえ。あなたはマイケル・マン見ました?

──はい、見ました。男ふたりがおし黙って、身振りだけで成立していくんですね。

蓮實:ええ、あそこにはやっぱり映画があると思う。こいつなんてうまいんだろうと思いますけれども、あのうまさはいままで誰も定義していない。

──僕はコン・リーも良かったと思うんです。最初のラブシーンでコン・リーがいつのまにか涙を流していて、それを説明抜きに撮るところ……

蓮實:ええ(苦笑)。あれをほめられるひとがいないといけないと思います。抽象的にほめるんじゃなく、この種のよろこびはガス・ヴァン・サントにはないってことをいわないといけない。だからといってガス・ヴァン・サントがダメということではなく、やはり期待したいと思うんだけれど、ことによると彼が存在しなくても、映画史は成立してしまいそうな気もしています。これは、過去の作品ですが、それを映画の現在として論じたいのは、イタリア映画において、セルジオ・レオーネとピエル・パオロ・パゾリーニのどちらを選ぶかという問題です。すでにいったように、そのどちらかを否定することが問題ではありません。ただ、私は、セルジオ・レオーネの方が、パゾリーニとは比較しようもないほど重要な映画作家だと思っています。パゾリーニの評価って、どこかガス・ヴァン・サントの評価と同じようなものに思えてならない。勿論、初期の『マンマ・ローマ』(1962)ほか何本かのパゾリーニは大好きです。また、イーストウッドと一緒に仕事をしていた時期のレオーネには疑問もあるし、批判もしてきました。しかし、彼の晩年の3本は、映画に対してきわめて貴重な貢献をしている。とくに、『ウエスタン』(1968)と『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)は、その自己破壊性において素晴らしい作品です。ことによると、ヴェンダースの『パリ、テキサス』(1984)以上の強い意志で「最後のアメリカ映画」を撮ろうとしている。それにくらべると、パゾリーニの後期の作品は、どこかで映画を甘く見ている。というより、ひとりの個性ある芸術家が、映画を使って自分を表現しているとしか見えない。ですから、私は、いまこそ、映画の現在として、パゾリーニに対してセルジオ・レオーネを擁護すべきだと思うのです。
 DVDだけでやってるひとたちには、その種の現在に対する視点を必ず欠落させしてしまう。あなたがたのサイトに期待したいのはそういうことなんです。「僕はこれを断固支持する、支持するからには最後までそれに付き合う」、そして「それは他の監督をほめるより重要なことだ」という、依怙贔屓でもいいから、その付き合いをなんとか言葉にする。マイケル・マンは私とあんまり世代が違わない。彼はダニエル・シュミットと同じぐらいの歳ですから、やっぱり私がやらなければいけないのかなあという気もしていますが、もうそろそろ若い方にまかせたいですね。
 それから単純な評価の問題として──現在にどこかでつながる評価の問題として、あるときまでは良かったけれど途中からどうも信頼できなくなったというひとは、やはり始めから悪かったんじゃないのっていういい方をしなければならないと思います。たとえばマーティン・スコセッシ。最近の彼の作品はとても画面を注視できないでしょう。「え、こんな画面撮っていいの! こんな編集でいいの!」ということです。それは、やっぱり、彼が始めからダメだったんじゃないかということだと思います。『タクシードライバー』(1976)はとても評価できませんでしたが、それでも一時期は擁護しようとしてみました。しかし、最近のスコセッシを見ていると目を覆いたくなってしまう。やはり最初からダメだったんじゃないか。『ミーン・ストリート』(1973)は良かったっていうひとがいますが、もう一度見直して、本当にいいのかというかたちで、DVDを使ってほしい(笑)。

──先生はスコセッシには賭けられなかったのですね。

蓮實:賭けなかった。

──そういう意味では80年代に、先生はジャームッシュに賭けられましたね。新作の『ブロークン・フラワーズ』(2005)はいかがでしたか。

蓮實:見ました。素晴らしいと思いました。泣きましたね。あなたもサイトマガジンに書いてましたが、あの良さを評価する言葉が世界にはなかなか見つからないんですよ。

──みんなどこかいい淀んでいました。

蓮實:私は、単純にシャロン・ストーンの素晴らしさにまいりました(笑)。彼女にキャメラを向けたジャームッシュの演出に匹敵するものが何かあるかというと、『10話』(2002)に出てくる女性たちだと思いました。嘘つきキアちゃんなどと呼ばれるキアロスタミの女性の生々しい存在感って素晴らしいでしょう。キアロスタミのあの女性たちに唯一対抗できるアメリカの女優として、シャロン・ストーンが輝いている。娘が裸になってビル・マーレイをもてなしているところにいきなりシャロン・ストーンがこぼれるような笑顔で戻ってくる瞬間なんて、本当にぞくぞくしました。翌朝ほとんどよだれをたらすようにしてベッドで寝ている彼女も素晴らしかったんだけれど、これは映画批評の敗北ですね。この素晴らしさをどのような言葉で世界に伝えるか。シャロン・ストーンがいいなんていったって、誰も笑って信じてくれない(笑)。いや、『ブロークン・フラワーズ』には他にも評価すべき女優はもちろんいるでんすが、あのシャロン・ストーンのやわらかな輝き方を見たら、キアロスタミが撮った女性に対応しうる数少ないアメリカの女優だと思いました。この良さを評価する言葉が世界的に存在しない。あなたも盛んにいいんだぞいいんだぞとはいっておられたけれど、いいにくいでしょ。

──はい。

蓮實:何がいいって、シャロン・ストーンがいいんだって押し切らざるをえない。こんな瞬間がガス・ヴァン・サントの映画にあるか、とね。ところで『ニュー・ワールド』(2005)はどうでしたか。

──僕は好きでした。

蓮實:いいんですけど、いくつか気になるところがあって、無条件に好きだとはなかなかいえないのです。ひとつは、『マイアミ・バイス』にも出てたけど、コリン・ファレル。どうもこれはハリウッドの顔でない。いや、ハリウッドの顔でなくてもいいのですが、彼の画面の中の存在をテレンス・マリックがまったく恐れていない。演出家として使える素材としてしかキャメラを向けていない。監督の意志を超えて、また与えられた人物の輪郭を超えて、たとえばシャロン・ストーンのようにその存在がスクリーンに流れ出ていかないのです。映画版『マイアミ・バイス』の彼はもちろんよくやっていますが、コリン・ファレルとドン・ジョンソン[3]のどちらがほんとに好きですかといわれれば、文句なくドン・ジョンソンです。二流の俳優でしょ、ドン・ジョンソンなんて。二流でB級なんだけれど、彼がもっている一種の不良性が与えられた人物の輪郭を超えてあふれ出す瞬間がコリン・ファレルにはない。彼が女好きだっていってもね。

──ゴシップはいろいろあるようですけれどね。

蓮實:『ブロークン・フラワーズ』でも、主人公が俺の名前はドン・ジョンソンではないといっていますが、それは、ドン・ファンにかけているだけではなく、あきらかにドン・ジョンソンを意識しています。彼にはなにかしら血なまぐさいあやうさがある。ある程度まで神話化されたドン・ジョンソンの二流のハリウッド性といっていいものが、コリン・ファレルにはない。彼には、与えられた役割を巧みに演じる以外のことができない。でもそれなりに最近ずっといいんですけれどね。『アメリカン・アウトロー』(2001)も比較的いい。コリン・ファレルのような若手には伸びてもらいたいけれど、決定的なブレイクはしないんじゃないかという気がする。『マイアミ・バイス』より『コラテラル』のほうが良かったというのも、唯一そこにかかっているんです。役者にかかってる。やはり、トム・クルーズは、過剰なまでにスターなのです。

──ただ、『ニュー・ワールド』も『マイアミ・バイス』も、非常に器用に演じているなという印象と同時に、どこか投げやりなところというか、夢遊病的なところがあって、そこが魅力だと思うんです。

蓮實:まあ、そうですね。彼はあんまり背が高くない。背が高くないところをやはり彼の場合は高く見せなければいけないはずなのに、テレンス・マリックはなにもしてない。『ニュー・ワールド』の撮影は見事といえば見事なのですが、ときには題材とは無縁に綺麗なだけで、そこも気になりました。『シン・レッドライン』(1998)のときもそう感じたのですが、この題材に、これほどの高度なキャメラワークが必要なのだろうかと、居心地の悪い思いを捨て切れませんでした。スターといえるかどうかわかりませんが、コン・リーはほとんどすっぴんのまま出てきたような顔でしたね、『マイアミ・バイス』では(笑)。

──そうでしたね。登場の仕方なども面白かったですね。気付いたらいきなり画面の片隅にいる。

蓮實:日本の女優もあれぐらいはやれよ、っていいたくなります。だってコン・リーなんて、もとはといえば、田舎から出てきたおねえちゃんでしょ。

──日本の映画女優についてはちょっと語るのが難しいところがありますね。先生は黒沢清監督の『LOFT』(2005)はご覧になりましたか。

蓮實:ええ、見ました。

──ちょうどダニエル・シュミットの訃報を聞いたばかりだったので、女性の死体が蘇るという点で非常に似た設定である『ラ・パロマ』(1974)とたまたま続けて見たのですが、こちらではまさに女優の顔によって虚構が始動するような具合です。比べてもしかたがないのですが、ただ思ったのは、『LOFT』も含めた現在の日本映画では、女優の顔からフィクションが立ち上がる瞬間があまりに少ないということです。もちろん、黒沢監督の場合、それが作品の欠点にはならないわけですが。

蓮實:監督と女優との関係がほとんど例外的に濃い『ラ・パロマ』と比較しちゃあ中谷美紀さんが可哀想です(笑)。『ラ・パロマ』のイングリット・カーフェンはほとんど自分のキャリアの集大成のつもりでやっているわけで、その表情から神話的なフィクションが立ち上がるのは確かですが、『LOFT』の中谷美紀は、神話なしの女優です。黒沢監督は、その神話性を欠いた彼女の肉体ののっぺらぼうな表層と戯れており、緑の中の小走りの歩き方で進むところなど素晴らしい画面におさまっている。また、これは、黒沢さんとのインタビューでも語ったのですが、『ラ・パロマ』との関係でいうなら、丸い鏡の中に映った化粧中の彼女の顔のショット、最近の映画でもっとも充実したショットだと思います。
 かつては女優が素晴らしかった日本映画の現在の女優についていえば、国際的な舞台での知名度が中国系の女優に較べてあまりにも低い。しかるべき女優を売りだそうとするプロデューサーもいませんし、エージェントもおらず、誰もがハリウッド、ハリウッドなどといっているにしては、女優たちの理想も低いし、つぶしがきかない。だから、『SAYURI』(2005)のように、京都の舞妓さんを中国系の女優が独占することになってしてしまうのです。世の愛国者どもは、あれを見て、危機感をつのらせないのですかね。チャン・ツイー程度なら日本にもいるはずですし、あのコン・リーのイモねえちゃんだって年増芸者としてあそこまでできるのですから、何かやりかたがあるはずです。そうしないと、愛国者ではない私にはどうでもよいことですが、カンヌやヴェネチアなどの一流の国際映画祭の審査員は、中国系の女優に独占されてしまいます。元通産系の官僚どもは、やれアニメだ、やれコンテンツ産業だと馬鹿のひとつ覚えのようにいっていますが、ソフトパワーとしての日本の女優の国際的な露出度を考えなおすべきなのです。テレビでは、女優は絶対伸びません。だから、したたかなエージェントがひとりいて、長期戦略で売り出すという以外ない。『SAYURI』と『太陽』(2005)で国際的に健闘した桃井かおりをベルリンの審査員に売り込むぐらいのことを、経済産業省は本気で考えるべきなのです。男優だって同じで、『LOFT』の西島秀俊は非常にいいと思いましたが、誰かがもっとあやういエロチックな役で使えば──私はいつもプロデューサー的な発想をしてしまうんですが──トニー・レオンを超えうるひとだと思う。でもそういう役柄がまだないわけです。

[続く]
vol.1 vol.2 vol.3



脚注

1.以下の発言を参照
「(……)見ようと思えばなんでも見られるという状況があるわけです。その状況そのものは、映画史的な広がりがそのなかに当然持ってるさまざまな矛盾とか葛藤というものを視界から全部遠ざけてしまうわけですね。遠ざけてしまって、これも見たあれも見たという、見た事実だけが非歴史的に可能になっていく。そのことがいろいろなかたちで、映画を巡る言説を実は多様化させていなくて、非常に単調なものにしているというところがありますねえ」。
蓮實重彦「100年目の憂鬱」(聞き手=関口良一),『帰ってきた映画狂人』河出書房新社, 2001年, 161頁(初出:『シネティック』第2号, 洋々社, 1995年).

2.リュミエール・シネマテーク
蓮實重彦、山田宏一が監修し、1988年に発売された10巻組みのビデオ・コレクション。並行して、スクリーンでの上映もなされた。10巻組セットに付いたふたりの対談集は『傷だらけの映画史 ウーファからハリウッドまで』として中公文庫から出版されている。

3.ドン・ジョンソン
テレビシリーズ版『マイアミ・バイス』の主人公ソニー・クロケットを演じる。


[元の箇所に戻るときは、BackSpaceキーかブラウザの「戻る」アイコンを使用してください]

08 Nov 2006
© Flowerwild.net All Rights Reserved.