菊池信之インタビュー with 青山真治vol.2

インタビュー

目次

3.音の発見
……音と出会ったときにどう交流していくのかっていうのが一番大事なこと……
4.ミキシング-現実の再構成
……なにかを打ち破っていくような空間性が出ればいいと思います……
5.ガンマイクとワイヤレスマイク ……基本的にはガンママイクひとつで……



3.音の発見
……音と出会ったときにどう交流していくのかっていうのが一番大事なことであってね……

青山:けどさ、現場で鳴ってる虫の声とか、あるいは風の音とか川の音とか、自然界の音に対して聴覚が働く人ってのは、最初からずっと劇映画でやってる人の中には、実はそんなにいないと思うんですよ。で、僕が最初に『路地へ—中上健次の残したフィルム』で菊池さんと一緒に仕事して、次に『ユリイカ』をやって、その後も常に一緒に組んでいるのは、現場で僕と同じ音を聞いてる人だからなんですよね。今までそういう人って実はそんなにいなかったんです。

菊池:劇映画の世界にそういう人が少ないっていうのは、劇映画のほうの問題だと思うんです。僕はさっきいったように、10年間音を録り続けて、さらに仕上げの段階で春、夏、秋、冬ってもう1回、おさらいして音を録ったって経験はあるんです。でもその後の仕事が、「だから」なのかっていうと疑問なんです。僕と同じ状況に置かれたとしても、人によってやることは違うと思うのね。つまり、もっと器用な人なら、そんなにしつこくやってないと思う。僕は不器用だったし、よくわからないから、これでいいのかな、これでいいのかなって、探りながらやっていて、結果的にそうなって。劇映画に入っても、僕は不器用だから、しつこくならざるをえない。

青山:僕が思うのは、そのふたつの要素があるということですね。小川プロとかドキュメンタリーというのではなく、牧野村なら牧野村ってところに何年間もいてそこの音を聞いてたという経験がまずひとつ、それと、菊池さんというキャラクター、あるいは人間性ですね。それがいまの菊池さんの音響を生んでいるとしかいえないと思う。技術的な面での、他との相対的な違いについてもそう。誰も10年間も田舎にとどまって(笑)音を録り続けるってことはないわけで。

菊池:いま考えたらぞっとするよ(笑)。山形にいたときに面白かったことがあって、まず冬に田んぼに行って、つまりやることがないから音を録るしかないんだけど、なんにも聞こえないわけ。冬に田んぼに行ったってね。でも、4日、同じことを続けるんです。そうすると、わずかだけど、聞こえてくるものが違ってくるのね。4日も行っていると、昨日入ってなかった音が偶然入っている。近くに学校があって、校内放送が聞こえてくるんです。「ストーブの周りに男子生徒ばっかりがいて、女子生徒がストーブのところに行けない」とか、「もうちょっと男子生徒と女子生徒でできないか」とか、生徒会かなんか知らないけど、そういう放送なんですけどね(一同笑)。雪が積もってる田んぼの中でそういうのを聞くと面白いなあと思うんだよね。その後もまた録り続けて、1月に録ったのと同じ場所に2月に行く、そうすると、村人の声が少しずつ聞こえ始める。啓蟄というか、ある日を境に、それまではほとんど聞こえなかったのが聞こえるようになる。虫が出てくるっていうけど、人もこんなふうに村を徘徊するようになるのがこの季節なんだなあって感じたり。そういう経験はあるよね。雪がしんしんと降っている何か情景的な場所で、実際は音がないんだけど、でも4日目になってくると、それが音として認識できる。この情景はこの音で認識できる、というようなね。

──最初は聞こえてなかった音がだんだん聞こえてくるということですか。

菊池:いや、聞こえてはいたんだけど、自分の関心の向き方というか、マイクの方向というかね、4日も行っていると、自分がそこに立っている情景とどの音が合うかというのが、だんだん見つかってくるんです。

『ユリイカ』をやってたときに、周りで虫が鳴いてるんです。撮影現場ではその音を録ることなんてできないから、ちょっと離れたところでその音を録りに行ってました。そうすると日によって絶対に違ってくるわけです。セミが激しく鳴いてる場合もあるし、小鳥が鳴いてる場合もあるし、同じ虫の音でもやはり違うはずなんですよ。それを助手さんに録りに行けという。次の日も録りに行け、また次の日も録りに行けって。そうするとだんだん助手さんが怒りだしてくるんだよね。「なんでまた同じことを。そんなもん、昨日録りましたよ」って。だけど時間が変われば絶対違うじゃない。時間が変わって音が変わるってことを僕は大事に思ってるんです。

ある作品のときに、ちょうどスタッフが東京に行って現場に戻ってくるまで何日間かあったので、これとこれの音がまだ録れてないから、その間に音ロケをしようということになったんです。そのときの助手さんは劇映画出身でまだ来たばっかりだったんですけど、能率的にやるには2班に分かれて誰が何の音を録って、というふうに、きちんとスケジュールを組んでくれるんですよ。「菊池さん、これで全部フォローできるでしょ」ってね。たしかに、そこの場所に行った、という意味でならフォローできる。でもその場所で、風のざわめきの中で何かが聞こえてきたとする。そしたらその何かに対して、奥へ行ってみようというふうになる。スケジュールで動いていると、そういうことはできないんだよね。その場所へ行って、3分なら3分、5分なら5分でカットして次はどこってやると、その場所で音は発見できないんです。音と出会ったときに、その音と自分がどういうふうに交流してくのかっていうのが本当は一番大事なことであってね。段取り的にパッパッと撮るんであれば、もともと音のストックはありますからそれで対応できちゃうんです。そうではなくて、音と出会ったときに、自分がどう反応していくか。それが一番大事だと思うのね。

──劇映画の場合、スケジュールの都合もありますね。

菊池:いや、スケジュールの都合はなんとかなるんです。だって僕は劇映画の中でそれをやってますから。

──そうですね。というか劇映画の場合、ある音が必要になったとき、それを記号として考えてしまうということがあるのではないでしょうか。

青山:目指す音があるということは、その音に意味を持たせるわけだから、単なる記号になってしまうということがありますね。たぶん菊池さんが考えているのは、その音を録りにいったらたまたま別の音が聞こえてくるわけだから、現場に録りにいかないということは想像しないことに等しいってことだと思うんですよ。『レイクサイド』のときに面白かったのは、湖の場面で、鳥だったかな……

菊池:鳥。

青山:ずーっと、ピーピー、ピーピーって鳴いてるのね。あれが不気味なんですよ、ものすごく。イヤなんだけど、延々と鳴いてるんです。あれはその場で鳴いてたんじゃないですよね。

菊池:夜、録りにいってるんですよね、あの場所で。記号化ってことに関していえば、夜、湖でよくないことが起きてるってときにさ、鳥が鳴いてるなんて誰がどうやって発想するか。

青山:あれは面白かったね。

菊池:頭の中で考えても出てこないことだよね。

青山:シナリオにも書けないもん。

菊池:こないだ、ネットムービーとして公開される作品で、僕の助手さんの知り合いが僕のやり方を聞いて、走行中に車の窓を開けたり閉めたりというのを現場で録ったら、開けるときにセミの音が聞こえてくるっていうんですよ。車内の物音なんてのは、ストックとしてありますよ。でもそこでセミの音がワーっと入ってくるというのは、夏のシーンだったんですけども、やっぱり、できないことです。それが現場での音の発見なんです。発見がなければ、あんまり面白くないですよね。

──『エリエリ』についてですが、救急車が走るのを並走しながら撮ってるところがあるじゃないですか。その走行音がものすごくリアルに聞こえて、あれはシンクロだったんだと思うんですが……

菊池:道が二股に分かれるところね。あれは、救急車の中から録ってるのと、カメラ車のほうから録ってるのと、両方あるんですよね。救急車が走る音が、実はカメラ車の音だったりもするんです。よくあることだけど、その方がかえってリアルに聞こえたりするんですよね。もちろん不自然じゃないように微調整はしますよ。普通の劇映画だったらああいう音は録らないですよね。まずサイレントで撮影して、あとは効果屋さんにおまかせということになる。

──最後に歌を歌うところなども、作りものという感じはまったくなくて、その場で聞こえてくる救急車の走り方の音が、すごく印象的でした。

青山:あの救急車の中って、いろんなものが備え付けてあって、部品とかがガヤガヤ揺れるんだよね。それが邪魔なのか、救急車のキャラクターなのか、微妙なんですけどね。

菊池:邪魔ってことに関していうと、撮影中に邪魔な音っていろいろあるじゃないですか。ドキュメンタリーやってた頃に、そういう邪魔な音はなるべく避けながら録ってたんだけど、最終的な編集のときに、邪魔だと思ってたはずの音が力を持ってくるというか、結構、使いようが出てくるんですよ。なぜかということを意味として説明はできないですけど。経験的に、邪魔だと思った音はまず録っておきたいという感じはします。

青山:そうしてます(笑)、いつもね。

菊池:『ユリイカ』の駐車場のシーンで、沢井という男と、それから殺される女性ふたりが歩いていて、「ここで事件があったのよ」、「そのとき僕が運転手だった」なんて話すところ、あそこは秋だったから虫がピーピー鳴いてたんですけど、そのとき遠くの方に、工場の音かどうか、ゴーゴーうるさい音があったんですよ。セリフがあるから、それを避けるかたちで録るんだよね。で、録り終ってから、夜遅くだったからみんなが慌てて片付けをしてるところで、僕は助手さんに片付けを頼んで、みんなを待たせてはいけないから、片付けの間の時間に、駐車場の反対側にダーって走っていったのね。そうすると、遠くの方に工場があった。はるかかなただったから近くまでは行けない。でも音が聞こえるところまで走っていって、わずかながら2分か3分、それを録って、急いで帰ってきた。でもふたりが歩いていて、虫がピーピー鳴いているところに、その工場のゴーって音が入ってくると、また状況的には面白いよね。それは使ってますけれど。そういうふうに、邪魔になる音が生きてくる。ただ、助手さんはわからないんですよ。『ユリイカ』でいえば、高速道路の下で死体が発見されたみたいなところがあった。あのときも高速道路の音を録れっていったら、みんなその音を避けてセリフを撮るのに集中してたもんだから、「えっ」っていうわけです。でも映画の中でふたりが気まずく「じゃあね」って別れたあとで、遠ざかるのを見送っている刑事の姿に、その高速道路の音を重ねたりとかできるんです。



4.ミキシング—現実の再構成
……なにかを打ち破っていくような空間性が出ればいいと思います……

──『ユリイカ』以来、整音、スタジオで音をミックスする作業は菊池さんが担当されているんですよね。

菊池:ええ。『エリエリ』のときは別な人が入って仕上げをしてもらいましたけど。

菊池さんがまず最初にすべての音構成を済ませて、その上で青山監督に聞かせるわけですか。

菊池:こういうことは言葉で説明してもわからないから、一度かたちを作って、そこからだよね。打ち合わせが始まるのは。

──現場を共有していない人間がミキサーとして入ることの利点というのもあるかと思いますが、いかがでしょうか。距離をとれるというか。 青山:うん。いわゆる「会社の映画」の場合は、それが効率的だし、いいんじゃないですか。僕も「会社の映画」をやってるつもりですけど、それだと納得がいかないんですよ。その結果、世間がいうところの「作家の映画」みたいな方向に行ってしまうんです、表現としては。僕としてはそういう意識があるわけでもなくて、むしろ「会社の映画」としてよいものにしようと思ってるうちに、「作家の映画」といわれるようなものになってしまうということなんだと思いますけど(笑)。でも僕がそれを全部やってるわけじゃなくて、菊池さんがこういう音あるよって出してくれたり、僕が気付かない間に勝手に入れてるとか、そういうふうにできてくるものであって。 菊池:別の人がやったほうが距離が出ていいという話を僕はあんまり信用しないですね。批評的な目でまず現場を見ていないといけないってことがあるじゃないですか。 青山:現場の一体感というのはまるっきりうそで、絶対に斜めに見てる人がいるわけ(笑)。常にね。 ──そういえばゴダールが批評家時代に、編集の人間も現場に出るべきだという趣旨のことをいっていたんですけど、監督になってからは自分の映画で、実はまったくそれを実践していないそうなんです。 青山:あの人の場合はさ、『JLG/自画像』の中で盲目の編集者を雇うシーンがあるじゃない。どうにかして違うものを再構成していくわけだから、現場にいればいいというわけではない。現場ってものは、一段階目では「現場主義」って言葉も出てくるけれど、また別の段階もあって、そこでは全員がバラバラなことを考えてる。それが混沌としてミックスされてる状態が作品であってね。さっきは「会社の映画」と「作家の映画」っていったけど、「作家」っていってもオレが知らないうちにこんな音入れられてるってこともあるし(笑)。 ──青山さんも、自分が聞いてなかった音を菊池さんによって後から発見する、ということなんですね。 青山:そもそも聞いてないんですよ。音ロケにはついて行けないし、ついて行こうとしても菊池さん、嫌がるじゃない。僕もおまかせして、飲みに行きたいし(笑)。 菊池:音を構成するときに、稀に、監督によってはですが、いわれる場合があるわけです。例えば、ここで車が遠くを走ってる音がほしいとか。そうすると逃げられないというか、イメージから逃れられない、固まっちゃうわけです。僕もいろんな音は持ってるんだけど、遠くを車が通るというイメージでいくと、それがなくなっちゃうんです。だからなるべくそういう話が出る前に、音を作っちゃう(笑)。 音の記号化という話ともつながりますね。こないだやった『コオロギ』という作品では、別荘の場面で絶えず風が吹いていて、映像としても葉が揺れたりしていて、風の音を僕自身も意識してたのね。で、僕の持ってる音ネタとしては、外国で録った、白樺の木がサラサラっていうのがあって、綺麗な音なんだけど、けっこう使いやすいのよ。だからいろんなところでいろんなふうに使ってきたんですけど、ただその音はほぼ仕上がった段階で最後の味付けというか、音をもう少し抽象化したいというときに使いますけども、これを最初の段階では使わないようにって助手さんにいっておいたんです。でもその別荘の近くで風がワーっと来ているところで、なかなか音が思うようにいかない。それでもいろいろ試行錯誤してミックスしていたんですけど、あるときそれを聞いたら、あろうことか、その使うなっていった音が入っているんですよ。自分ではどこでどういう音を録ったかわかってますから。僕は怒ってその音を全部外させて、数が増えてもいいし、なんでもいいから、とにかく現場で録った音をまずその箇所に貼ってみてくれといったんです。内容は聞かずに、ただそこにボンと貼った。別荘があって、そのまわりの木や、葉っぱが揺れていたわけね。だから映像とはシンクロしないわけです。だけど、葉っぱが揺れたからって、必ずしもそれが人間の耳に聞こえるというわけでもない。そういうことも含めて、結局、ものすごく雰囲気が出たんです。誰が見ても明らかなくらい、ピシッと音がはまるのね。ここから、後の展開が楽になりました。頭で考えた音をただ貼り付けただけでは、こういうふうにはいかない。僕の場合はうまくいかないですね。それにああいう音は効果屋さんも作りにくいと思うんだよね。現場でどんな状況で音を録ったかということが分かってないと。僕が音を録る場合は、絶えず、日付、時間帯クレジットの前に必ず記録として入れることにしてるのね。朝、昼、夕方では同じ場所でも音が全然違うじゃない、違うんだけど、音だけ聞いてそれが夕方かとは分からないから。助手さんが録った音に関しても、僕が聞いてよく分からないことがあって、川の音を撮るにしても、川がどれくらい離れたところにあって、自分はどの位置にいるかとかね。 ──録音時の状況を詳細に記録として吹き込むというのは、あまり一般的なことではないのですか。 菊池:他の人のことはよく知らないけれど、でも何を撮って、何テイク目かなんて程度であって、こと細かにはいわないんじゃないかな。 青山:そもそも、そこまで音ロケする人がそんなにいないから。前にダニエル・シュミット組でやったときに、ディーター・マイヤーっていう録音マンがいて、当時は若いやつだったけど、風鈴とか、鳴り物をもって、勝手にどこかに消えるの(笑)。離れた山のほうに行って、木にそれをつけて音を録ってくるとかっていってね。そういうことをちょこちょこやってたのね。で、それを見ていて、こういうことって日本であまりないなあと思って、それから監督になってしばらくたって、菊池さんと出会うと、やっぱり音ロケに行くっていうんです。菊池さんに会う前に5、6本の作品を作ってたんですけど、これはなかった。僕が知ってる中では、『書かれた顔』[17]の中にだけ、それがあって、でもそれはフィクションとドキュメンタリーのどっちにもつかない作品からだったからなんですけど。まあ助監督だったから、だいたいわかってたんだけど、劇映画だとやっぱりそういうことはしないんだなあとずっと思ってたら、菊池さんは、した。 ──スタジオでの整音についてお聞きしたいと思うんですが、菊池さんの『ユリイカ』以来の仕事を見ていると、ただ単に現場に忠実というのではなくて、例えば、大胆に音を省略することもありますし、ほとんど演出といっていいようなミキシングをされているという印象もあるんですけれど、その点に関してはいかがでしょうか。 菊池:どうなのかな。物語の流れに沿ってやっているだけで、僕にはそんな意識はないんですけれどね。ただ、正直にいうと、音で何かができるんじゃないかと思って、仕掛けよう、仕掛けよう、という意識が最初の頃はあったように思います。それが、なんというか現場の音を映像に対して忠実に、というふうに段々と変わってきましたね。忠実に、というのは、現場でシンクロで録られた以上によりシンクロ的に音をつけていくと、そのことで物語が見えてくるという感覚を覚える、そういう経験が自分の中にはあるんです。だから、あんまり仕掛けるんじゃなくて、音をつけながら現場をもう一度見直していくと、そこに何かもっと大きいドラマ、物語があるんじゃないか、というかね。そういうことを経験してきたから、もっと自然にというふうに段々となってきてる。まあ、できあがったものは別として、意識としてはそうなってきてるね。 『こおろぎ』という作品の撮影の時に、路地で、ひとりの女性が向こうからただ歩いてくるだけのカットがあって、周りは民家だったり商店だったりで、全然賑やかじゃない。ただそれだけなんだけど、あれは、タオルケットだったかな。 青山:雑巾だったか、タオルだったか… 菊池:そう、手拭いみたいのがかかってたんです。で、そのひとつが雰囲気をものすごく作ってたのね。生活感というか。このとき僕は離れているから現場を見ているようで見ていないところもあって、だから編集のときに気が付いてこのタオル面白いなあと思って、そして聞いたら、田村さんが撮影の瞬間にカメラを当初考えてたアングルからふっと動かして撮ったんだって。青山さんに、これはもともとあったのかそれとも作ったのかと聞いたら、青山さんは、それを作ろうと思った瞬間にものごとが変わってしまうから、置けるもんじゃないっていったんですよ。それを聞いたときに、ああ、この映画はそういうものなんだ、と思って(笑)。ただそこに在るということがすでにドラマっていうかね。さっきの風の音に関しても、それ自体でそこに在ったということがドラマだという気がする。だから仕掛けようという意識はあんまりなくて、見えてきたものを強調するというか、わかりやすくするために、余分な音を外したり、逆に音を付け加えたりということですね。 ──萩生田宏治監督の『楽園』では、ロングショットであるにも関わらず、自転車のカラカラという走行音が印象的に響いていましたし、『エリエリ』では砂を踏む音がやはりそうでした。自然の音から出発して、なおかつひとつの楽曲のような構成に高めていこうという意識もあるように感じたのですが、いかがでしょうか。 菊池:僕はあんまり映画を見てるわけじゃないんだけど、僕らよりひとつ前の世代の人たちって、シンクロが自由にできなかったわけじゃないですか。だから音は、後で何かしなくちゃいけないっていうところがあったと思うんです。その世代のほうが音の演出に関しては面白いことをやっていたと思いますね。すごく大雑把にいうと、映像というものに対しての音が、何かをやろうとしたときに、ヴォイス・オーヴァーにしろなんにしろ、映像に対してひとつの意味が生じるというか、映像とぶつかり合うような効果が出てきたんだと思うんです。ただ、シンクロが自由に出来るようになってからしばらくは、思い切った音の演出がなりを潜めたような気がする。そして今は、シンクロが自由にできるようになって、シンクロを軸にしながら、音によって意味が生じるのではなくて、映像の意味が外れて、なんというか、体験というか、そういうものが加わってきてると思うんです。 だから、仕掛けるという場合も、それが意味であったり説明であったりするとつまらないね。そういうのを外して、ただそこに在ること……在ることの空間的な広がりであるとか、そう、予期しなかったもうひとつの空間性のようなもの……。なにかを打ち破っていくような空間性がでればいいと思いますけどね。あんまり意図したくないんです。



5.ガンマイクとワイヤレスマイク
……基本的にはガンママイクひとつで録れたらいいと思います……

──空間性に関してですが、『ユリイカ』の音は、その場の音をメインマイク中心で作っているという印象だったんですが、ところが諏訪さんの作品を見ると、ワイヤレスをかなり多用していらっしゃいます。諏訪さんは例えば呼吸音など、ワイヤレスでなければ録れない音を使うからなのかもしれないですけれど。 菊池:基本的にはガンマイクひとつで音が録れたらいいと思います。それに加えて補助的にワイヤレスも使っていくということですね。空間的に、もうひとつ中に入っていかなければいけない場合があるじゃないですか。そのときにワイヤレスは有効だと思います。それと、画面が寄りの場合に、ガンマイクで充分いいものが録れているときでも、ワイヤレスとガンマイクとでは音が違いますから、ワイヤレスのほうがより効果的ということはあるでしょうね。 ──現場で選択するんですか。 菊池:いや、現場ではまだわからない部分が多いですね。 ──『月の砂漠』で面白いと思ったのは、前半、都市を舞台にしているところではワイヤレスが多くて、声が近いという印象があって、後半では菊池さんらしい音というか、メインマイクが中心になっていったように思ったのですが。 菊池:まあ、撮影条件によるところが大きいんだよね。 ──深読みすると、人間同士の関係がうまくいかない状況が、都市のシーンではワイヤレスによるそれぞれ閉じた空間性として表現されているともとれます。 菊池:設計的には、青山さんによるところが多いけれども、状況音はわりと外していきましたよね。 青山:うん。会社のシーンとかは外していったんだよね。 菊池:ガンマイクだと当然、いろんな音が入ってきますから、ワイヤレスにならざるをえない。 青山:ワイヤレスとガンマイクに関して僕が思うのは、どちらを使うかということにおいて、自由度のせめぎ合いがあるということですね。撮影部としては、できればすべてワイヤレスでやってほしいじゃないですか。つまり、フレーム内でマイクレベルの心配がないようなかたちで。でも監督としてはガンマイク一本でやってほしいわけ。なぜなら、ワイヤレスだと役者に不自由を強いることになるから。どうしたってトランスミッター(発信器)をどこかにつけなければならないわけです。でも、最終的な完成度に関していうと、やはりワイヤレスがないと、すべてのセリフをほんとに小さい声まで含めて拾うのは難しい。だから、撮影部と僕と録音部、僕というか俳優、あるいは全体ですけれど、その間の自由度のせめぎ合いですね。 ──青山さんからすれば、ワイヤレスをやめたいというのは、俳優の問題だけが理由ですか。音質に関してはどうですか。 青山:いや、それはあるよ。なんというか、はっきり聞こえさせたくないっていうセリフがあったり、でも、小さい声ははっきり聞こえさせたかったりね。まあ、ないものねだりですけど。ほんとかすかな寝息なんかは聞かせたい。でも普通にしゃべってる声がはっきり聞こえてほしくはない、つまり周りのいろいろな音と同じレベルで聞こえるのであってほしい。たとえば、音楽でいうとヴォーカルだけ際立ってるのって変だから、ライブみたいな音が聞きたいというようなね。でもヴォーカリストみたいにマイクに向かってしゃべってるわけでもないんで、かすかな音をどうやって録るかというのは別の問題になる。隠しマイクをどっかに仕込めないか、とかあれこれ考えてはみるんだけど、そう簡単にうまくはいかない。



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脚注

17.『書かれた顔』
『書かれた顔』監督:ダニエル・シュミット(1995)

19 Jul 2006

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